Saturday, September 24, 2011

初日臥病

始めて寄宿塾に入るるは夏季、彼方にては珍しき蝉も亦た鳴啼すること盛んなり。余、感冒を得、咽頭を傷む。治らざること三月にして、身を窶す。況や心をや。異国の地にて罹病すれば則ち望郷の念に及ぶべし。

医院に入りて一晩臥して、橘汁を与えれり。穀の味の如く、宜しからず。苹果汁を飲まんと欲す。食堂に在りて水筒に蔵むると雖も、然れども腐敗す。酢の如し。呑むこと能はず。哀しきかな。

Wednesday, September 7, 2011

学校選び

学校選び、といえども、アメリカのボーディングスクール選びのことである。

嗚呼、ボーディングスクールはお金が掛けられているだけあってか、各校が尋常ではない個性を持っている。周辺環境(都市か田舎か)から教育方針、課外活動の種類から敷地の雰囲気まで、千差万別、それぞれがそれぞれの顔を持っている。

この個性を知って、自分に一番よくマッチしそうな学校をまずは10校ほど選び、それからウェブサイトや資料などを通した「書類」検討を重ねた上で、6校にまで絞り込む。そして、この6校を受験する。

合否結果が来たら、合格を頂いた学校から、世間がどう言おうが、六か月前の自分がどう感じていようが、一番自分が「大好き」だと心底から感じられる学校を選ぶ。この際、迷いがあってもなくても、できれば現地を訪問し、授業や寮を見てから決めた方がよい。実際に目と耳と体で確かめるのが一番である。

もし補欠(ウェイトリスト)になって、どうしてもその学校に行きたいと思うのであれば、すぐに受験担当職員に「どうしても行きたい」というメールをする。電話は邪魔になるので、控える。

あくまでも自分の嗜好本位で学校選びが進むべきだと考える。個人によって探しているもの、求めているものが異なるのは当然だからである。

しかし、敢えて一つだけ比較的に普遍性があると思われる判断項目を持ち出すならば、ボーディングスクールの教員の内、博士号(Ph.D.)保持者が何%であるか、また彼らがどの教科に集中しているかを調べる価値はあるかと考える。ボーディングスクールとはいえ、学士号や修士号が最終学歴の教員が多い。しかし、先取りが風潮の昨今、高校の間にする勉強は、大学・大学院の「学問」に近ければ近い方が、後々、役に立つと思われる。大学・大学院水準の「学問」を実践し、教授する訓練を受けているのは博士号取得者たちである。

ボーディングスクールでは、生徒の主体性を尊重する教育が行われることが当然であろうが、やはりその中でも、厳しさ(というのは対人的な厳しさではなくて、学問的な厳しさ、厳密さ)が必要となる。しかし、筆者の個人的な経験上、学士号や修士号の教師陣には、どちらかというとこの学問的厳密さが不足していた。例えば、国語であれば、「精読」の方法を教えない、読解論文の書き方を教えない。(教えない、というのは、「何でもよいよ」という指導に近かった。)化学であれば、最低限の教科書レベルの内容は教えるが、それが特により上級の内容に進んだとき、どのような意義を持つのか、説明がない。歴史であれば、史料の使い方、読み方に関する指導が少なく、結局ただ「調べろ」「見つけてこい」しか言わない。また、「歴史とは何か」という議論が欠如している。などであろうか。

一方、博士号保持者の教師陣は、本当に優しい、あるいはユーモラスな先生も多い中で、学問的厳密さと思考の深さでは、大抵は圧倒的であった。(但し、当然のことながら、例外は複数存在した。)そして、彼らの指導が、結局は大学やその先に進んだときに、役に立った。これは、筆者自身が大学や大学院の「学問」に特別な興味を持っていた、あるいは持つからでもあるが、そうではなくても、少なくとも大学進学を考えた上では、やはり少しでも先取りをしておいた方が、結局自分が楽だとは思う。

いつも通り、全く個人的な意見である。

Sunday, August 21, 2011

日本にいつ戻って来るのか

暫く書くことができないでいた。夏ももう終わりか。いや、まだまだだ。

アメリカから日本に戻って来るのか、戻って来ないのか、というのは、畢竟、日本に「いつ」戻って来るのか、という疑問に集約することができるだろう。全く戻って来ない、という選択肢を初めから取る人は、「アメリカに行きたい」、「アメリカで住みたい」人であって、「アメリカで教育を受けたい」人ではないかもしれない。これは、あくまでも一般論である。

アメリカで教育を受ける意味、意義は人それぞれだろうが、いつかは、自分を育ててくれた、あるいは自分が育った土壌に何らかの形で、微力ながらも還元したい、と考える人がいてもおかしくないであろう。問題は、いつそのホームベースに帰還し、還元を始めるかである。

個人的な意見ではあるが、通説は、まずアメリカなり日本国外で身を立ててから、日本に戻って来るべし、というものが主流であるような気がする。このようにした方が、結局、日本に戻って来たときに、必要な貢献をできるだけの知識や経験や、地位や権力を持っていることになるだろうから、遅くに戻って来た方が、「ホームベースへの還元」という目標に、遠回りをするようで、実は一番の近道をはたらくのだ、と。

拙ぶろぐの筆者は、この通説に声を高らかに反論する。余り高い声は出ないが。そして、まず、この通説のような人がいても驚かないし、実際いらっしゃるのではないかとも思う。(ただ、「還元」の定義も問題にはなる。ここでは、何らかの形で、通行概念や既成システムに改善・変革を加えた、というあいまいな、でも「ゲリラ」なものにしておこうか。)しかし、である。知識や経験があるには当然の如く越したことはないが、社会的地位や権力がありすぎると、今度は自らが失うものが多すぎて、なかなか大胆な行動はとれないものである。これに、例外があってもよい。しかし、所詮は人間、一度高いステータスを得ると、なかなかそれを去りがたく、危険に冒すことさえ、敬遠するものではないか。

地道に、確実に、「故郷への還元」を果たすのであれば、失うものが極力少ない、若いときの方がよいのではないか。確かに、経験や知識や、地位や権力の不足で、苦労することもあるだろう。それ以前に、日本には「出た杭は打つ」というしきたりがあるそうではないか。筆者も、このしきたりの存在は認める。しかし、自分が「出た杭」であるという自覚があるなら、無防備のまま鼻の下を伸ばすのではなく、自分で防御しなくてはならない。時には、尋常には思えないほど恐縮し、謙遜し、自らを卑下する必要がある場面に遭遇しよう。そのときは、日本の(あるいは、日本以外の地域にも存在するだろう)「自虐カルチャー」を頭から軽蔑するのではなく、まさにテコの原理を利用し、それを逆手にとって、自衛すればよいのだ。それは、妥協でも、卑怯な真似でもない。ただ、「現地」のコトバを上手に操るまでのことである。地位や権力がないから、なおさらである。そこは賢く、格好よく。

具体的な還元方法は、それぞれが見つけていくしかない。ただ、一つ言えそうなのは、現在の日本は、政治を通して何か変革がもたらせるような国ではなさそうだ、という陳腐な真実である。だから、政界は、よほどのことがない限り、避けた方がよいかもしれない。トップダウンで改善や変革をもたらすのではなく、草の根で、泥の中を這いまわる様にして、自分ひとりだったとしても、柔軟な精神と確かな信念で、賢く、上手に「現地」のしきたりを活用しながら、小さな結果を出し、積み重ね、反省もし、そして前向きに一分一秒を愉しめばよいのだ。日本のことがほんとうに理解できたら、あるいは、XYZのことがほんとうに理解できていたら、日本、XYZのことを簡単にバッシングすることなどできない。知らないから、嫌いになったり、見捨てたくなったりするのかもしれない。問題は山積している。ただ、その問題の一つ一つにも細かい経緯があり、事情がからんでいる。根こそぎ問題であることは少ない。

嗚呼。このような言葉をつらつらと並べたって、通じないかもしれない。どこまでも舌足らずで申し訳がない。ただ、日本に戻って来るのなら、「若い」ときに戻ってきて、それから少し年をとって、家庭を持ったとしても、何らかの必要や自らの欲望に応じて、また日本国外に出ることだって、本当はできるはずであるし、してもよいはずである。このような「反通説的」考え方が早く浸透しないと、日本でもブレイン・ドレインがもうすぐ発生し始めるかもしれない。そのときは「知らん」ではすまないだろうし、何だか色々な意味で勿体ない。

次回からは、遂にやっと、学校選びの話をする。

Monday, August 1, 2011

如之何

余レ曾て「政治家」を志せり、而も其れ吾が邦屁の出るの国の「政治家」なり、然れども意必ずしも適わず、其れ時勢に帰すべきか否や、

公に云「政治」、利を奢にする間は、何ぞ其の業に身を售らん、余レは永久に至るまで、草ノ根ノ士の清き名を求めん、但し時勢の変ずるときは則ち与からん

Tuesday, July 26, 2011

日本に戻って来るのか、来ないのか

拙者がボーディングスクールで学んだこと、これは、新しく知ったというよりは、当たり前のことでもあるので以前から考えてきたことだったし、学ぶということ自体、未知を既知に変えるプロセスなどではなく、未知も既知も全部ヒックルメテ温めることだとは思うのであるが:

自分の与えられたものを精一杯、還元すること。

「与えられた」というのが最重要ポイント。そして、「還元」というのについて言えば、特に還元の対象は決められていない。自分の家族かもしれない。地球の裏側の微生物かもしれない。隣の隣の家のお父さん、あるいは赤ちゃん、あるいは仕事で出会った人、不特定多数の人々、あるいは自分をも含む何らかの組織かもしれないし、無機物質かもしれない。とにかく、自分よりは広範囲に属する何かに、「与えられたもの」を還すことを生の目的とすることである。特に、きれいごとにも思えない。至極、現実的であると思える。

与えられたものを自分の中だけに閉じ込めておこうとするのも、そもそも無理な話だと思うし(人間は穴だらけ、「目から口から鼻から」云云、とは孰が言か)、与えられたものを「与えられた」として認識できないのであれば、どこかできっと躓くだけだろう。躓いて、そして自分のあやまちに気付くだけであろう。

そこで、もう少し具体的な話をすれば、ボーディングスクールなどではなくても(だから、繰り返しにはなるが、ボーディングスクールなんぞに行く必要は、無い場合の方が多いであろう)、日本から日本国外に勉強しに行く場合、そして高校生の時分なぞ、特に低年齢(低も高も総じて相対的な尺度だが)で海外に長期間(つまり2年以上と定義づけよう)滞在する場合は、譬えばではあるが、与えられたものを「どこに」還元したいかは、さすがに出発前に考慮しておく必要があろう。

「どこ」というのは、分からないのが普通だが、どう考えても、口には出さなくても、どんなに潜在的あるいは無意識だったとしても、やはり最終的に「日本に戻って来るのか、来ないのか」が問題になろう。

そりャ、今のご時世、「日本か世界か」などと区分するのは時代遅れであろう。実際、「日本も世界も」という方向で日本も世界も動こうとはしているように見えることが多い。特に、アメリカなんぞに居りますと、そう見えることが多い。さすがは世界大国、そしてIT大国だけある。

しかし、今、拙者の拙い拙い考えでは、偉大な国アメリカが思わせてくれるほど、世界は一つではないし、世界はそれほど一致団結もしていなければ、地域を超えた流動性(特に人、思想、言語)がそれほど高いとも思えない。また、世界は一致団結しなければならない、あるいは、地域間の流動性は高まらなければならない、などという価値観は、特に高級な訳でもなければ、必ずしも正しい訳ではないだろう。これには色々な理由があり過ぎて、話は長くなる一方だが、暫定的に一つの大きな理由を挙げるとすれば、まあ大変に拙い言い方にはなりますが、世界各地の「人間文化の豊かさ」に尽きる。文化とは、簡単に言えば、しきたり・慣習。言い換えれば、記号の集まり。もう少しややこしい感じでいえば、慣習化された意味付けの継承。

世界には慣習の多様性が存在していて、、というのは聞き慣れたことだが、多様性=豊か、などという方程式は私は好きではない。(これは趣味の問題でしょうか。)多様性というものは、多様性と呼ばれているものが、実は多様性などでは全くないことが多いような気がするから、好きではないのだが、何が「豊かさ」なのかといえば、それは「細かさ」である。細密、詳細であること。

見かけはボッテリとしていても、マンボウの体にも細かい模様があり、「細かい部分を無視すれば」全部同じに見えてしまうようなタンポポ、梅、桜の花々にも、一輪、否、一片ずつの細かさ(これは、決して「個性」などではない。個性は、大量生産できる。細かさは、できない。機械は例外であろうが、自然の一部である人間は、機械とは少し性質が違うように思える)が現に存在しているのだ。

人間の体も然り。人間の慣習もしかり。よくよく観ると、考えると、細かくて細かくて、繊細で、1ミリ動かしただけでも大きな差異となる。何だか、アメリカ様(あるいは日本様でも、かもしれない)、あるいは現在のグローバル・スタンダードの家来になると、この細かさがまるで「悪いこと」、「劣っている」こととして目前に現前してくるときがないだろうか。少なくとも、拙者にはそのような経験がある。

でも、細かさはどうにもならない部分がある。もう既に、細かいのである。それを細かくないかのように扱っても、細かさはなくならないし、細かさに因って物事は進んでいくのだ。慣習の細かさを無視し続けると、大きな誤算が生じるであろう。その誤算をまた誤魔化すから、どうなることやら。

細かい慣習、細かい文化は、じっくり、ゆっくり、そして非常にデリケートな(つまり、時間もかかるし、強弱でいえば断然、弱な)対応を要する。人間の限られた一生の中で、このようなデリケートな対応をしようとすれば、自ずから行動範囲というのは、限定されてくる。これは、決して悪いことなどではない。行動範囲が限定されること自体は、悪いことではない。悪いのは、思考範囲が限定されたり、心の視野が限定されることなのだ。この区別は、非常に大事だ。少なくとも、拙者はこの区別に苦労した経験があるからこそ、この区別をいつも気にしている。また、行動範囲というのは、交友関係と同一ではない。世界各地に住む人、あるいは世界各地で育った人と交流することは大切だし、可能である。しかし、一人の人間が(会社ならまだしも)「世界を股にかける」というようなことがあれば、それは嘘であるし、思い上がりでもあるし、一種の性的ファンタジーの類に入るかもしれない。嘘にもいい嘘と悪い嘘があるが、これはどちらかといえば、悪い嘘であることが多いのではないだろうか。自分をも人をも翻弄させ、必要以上に煽るからだ。

話を戻すと、「日本も世界も」というのは、思考や心の持ちようでは、まさにそのようなものが理想か、とは思うのだが、実際的・現実的行動範囲は、インターネットも飛行機もある時代に・・と驚いてしまうほど、狭い!狭い!狭い!「日本」「世界」などという線の引き方にも問題はあるとしても、現実に、今の世界の税金の取り方というのは、一応、国別であって、それで色々なものが成り立っているのであるから、あながち恣意的な線引きでもなかろう。もちろん、「世界」というのは、実は、「日本以外のどこかの国」というような曖昧な意味で使われるのであろうが。昔風に、海内(「かいだい」と読む)・海外という区別の方がよいのだろうか。曖昧さは消えないが、「世界」という言葉にこれ以上失礼をすることはなくなりそうだ。

という訳で、あくまでも暫定的な方向性としてではあるが、若くして「海外」に勉強しに行く際には、どうしても、将来的に(どちらかといえば、10代後半からみて「遠い」将来・・・年齢でいえば、40、50歳ぐらいになろうかなあ)、海内・海外のどちらを主軸、あるいは拠点として「与えられたものを還元していく」意気込みがあるのかは、直感でもよいから、割合明確にイメージできていた方が、見失うものが少ないのではないかと思うし、夢もふくらみますヨ。

ちなみに、拙者の場合であれば、完全に、「海内」を活動の拠点としたいという願望が、一五歳の時点であったし、十年経た今も、全くそれは変わらないのである。その理由(なぜ変わらないか、そしてなぜこの願望を持つのか)については、また長い長いお話になろうから、今日はこの辺で。

Saturday, July 23, 2011

繹記憶而

記憶を繹ぬれば、往のみならず来も見れり、昔日を念へば、旧時に図れる未来の景も亦た忽然と眼前に現前したり、

過日と雖も不日、日月とは、連綿と列なる文様の如くして、或は微小たる一点に過ぎざる者にして、総て一たる所に處る者なり、

予、嘗ては新たに塾を吾が邦にて開講せんと図れり、今に至りては、その志も薄くはなりにしも、又た其の火を起こさんと欲す、

Monday, July 18, 2011

アメリカのボーディングスクールは万人向けではない

事実の中よりも虚実の中に真実があるとしても、虚実ばかりに拘っていては面倒だ。真実は事実の中にも確かにある。

なぜアメリカのボーディングスクールは万人向けではないのか。答えは至って簡単である。ボーディングスクールで勉強することが当座の最終目的である人だけが、ボーディングスクールに向いている。

つまり、ボーディングスクールを卒業していたら、それ大学受験に有利だ、それ人脈が広がる、それ人生に勝てる(勝てる人生など大した人生ではないのだが)、やれ10年後に順風満帆なキャリアが待っている、20年後に地位と名声が得られている、等々、ボーディングスクールに将来の期待をしてしまっては本末転倒、これらの理由を第一、第二、第三の理由としてボーディングスクールへの入学を希望をするのであれば、ボーディングスクール以外の選択肢をも真剣に考慮した方がよいであろう。

大学受験がどうなろうが、大学に行こうが行くまいが、良い仕事に就けようが就けなかろうが(それは、良い職にありつけた方が良いには決まっているが)、貧乏になろうが裕福になろうが、有名になろうがそうでなかろうが、そんな先のことには関係なく、いや、関係はあるのだが、「結果」には関係なく、とにかく今、私は、僕は、ボーディングスクールに行く必要がある(これはあくまでも必要であって、願望のような中途半端なものではない)のであれば、是非、ボーディングスクールを調査し、ここだと思える学校があるのなら受験し、これぞ運命と思える学校と出会えたのならば入学するのがよいだろう。当然、費用面で問題がない、あるいは問題があっても何とか克服できそうな問題であれば、である。

ボーディングスクールのためのボーディングスクール、と言ってしまえばそれまでである。だがここに味噌がある。大学受験のためのボーディングスクールではない。(ボーディングスクールのためのボーディングスクール、という道に沿っていれば、大学受験でも必ず健闘できるはずである。)言うまでもないが、見栄のためのボーディングスクールでもない。ボーディングスクールのためのボーディングスクールという究極の論理的循環は、個人個人によってその内実が異なってくる。なので一色端に、具体的に定義づけることはできない。

ただ、その様々な側面を可能性の集合体として列挙し、主観的になりながらも、それらに少しばかりの解説を加えていくことは可能であろう。その可能性に賭けたい。次回からは、できるだけ時系列を尊重し(記憶の虚実云々などとほざいている輩ほど時系列を嫌うようである)、学校選びの段階から、なるべく詳しく解説していく所存である。

Sunday, July 17, 2011

記憶廼虚実

虚か実かと問へば、則ち虚なり、然れども虚にこそ実を視る、これぞ人為る人の才に非ざるは無し、少と主郭を守れざるを伏して謝す、慚の甚だしきも之有り

此の電書とは、抑実用の書には非ず、実は虚の中に棲み、虚は実の骨髄を為す

Monday, July 11, 2011

アメリカのボーディングスクールとは

ある方から、「アメリカのボーディングスクール」という語をブログのタイトルにわざわざ入れておきながら、内容が有名無実、羊頭狗肉であるのはけしからん、とのお叱りを受けた。ごもっともである。

そこで、差し当たりは、日常的な現代日本語を用いて、本当にアメリカのボーディングスクールについて書いていこうと思う。竜頭蛇尾にならないことを願う。「俗談」というのは、四方山話、という程度の意味である。そして、あくまでも主観的な話に止まる、という一種の警告と弁明の意も含まれる。

文明の利器、グーグルなどを使って検索すれば、「アメリカのボーディングスクール」が何物であるのかは、概ね見当がつくのではないかと考えるので、冗長な客観的・外観的説明は控える。ここでは、ただアメリカの寄宿高校、と翻訳しておけば十分であろう。(また、有名無実、羊頭狗肉であるとご批判を頂戴するかもしれないが。)

ここからは主観的な話に入る。アメリカのボーディングスクールは、ヨーロッパ、殊にイギリスの寄宿学校(彼方ではパブリックスクールと呼んだりするそうだ)をモデルにして作られているらしい。でもこれは、実際アメリカのボーディングスクールに通う際には、特に知らずとも構わないことかもしれない。ただ、イギリスやスイスの寄宿学校が大概そうであるように、アメリカのボーディングスクールも、伝統的には最上流階級の子女が入学する高校であった。

現在でもその名残は感じられ、実際、富裕層の子女が全校生徒の大半を占めるボーディングスクールがほとんどであろう。ところが同時に、最近では、非富裕層の子女や、伝統的な上流階級ではない〈人種〉の子女の入学も目立つ。これは、ボーディングスクール側が、積極的に自校の「多様化」を図るため、返済不要の奨学金を用意したり、受験担当の面接官がアメリカ全国を飛び回って、様々な地域から受験生を募っているからである。

とはいえ、全米規模でみれば、ボーディングスクールはまだまだ上流階級の根城のようなイメージを持たれている、というのが相場であろうし、実際、「多様化」の見せかけとは裏腹に、豪華すぎるほどの学校設備を見れば、富豪の寄付金が今日においても、日々の学校運営にとって不可欠であることは、ほぼ一目瞭然であるともいえる。

何が言いたいのかといえば、まず、ボーディングスクールは学費(生活費も込)が非常に高い。年間、日本円にして400万円ほどは見込んだ方がよいであろう。前述した返済不要の奨学金も、ほとんどの場合は、非アメリカ国籍の生徒には支給されない。だから何だ、それでもボーディングスクールの提供する教育(これについては後々述)を受けたいのだ、となれば、もうこちらも何も言うことはない。学費・生活費も何とか支払いがきき、それがよい買い物であると心底思えるのならば、それは、皮肉なしに素晴らしい。自分なりにボーディングスクールのよさが確信できていて、自分なりの確固たる目的意識があれば、必ず実り多く、生涯を通して宝物となる高校生活が送れるのではないか。

しかし、少しでも迷いがある場合、あるいは、迷いというのではなくても、ボーディングスクール以外の選択も十分現実的に考えられる場合、あるいは考えなくてはならない場合は、わざわざアメリカのボーディングスクールに行かずとも構わないはずだ。一見、当たり前のことを言っているようだが、もっとはっきり、ばっさりと言ってしまうと、ボーディングスクールは、あくまでも上流階級的な教育機関であるという意味で優れている(物的・人的設備にお金が掛けられているので、非常に統制のとれた学習環境が用意されており、少人数・24時間体制の全人格教育、的なことを謳い且つある程度まで実施する余裕がある)のであって、決して学力的にハイレベルであるとか、根本的に例えば公立高校や、他の国の高校に優れているのでない。これについては、断言しておく。俗っぽい言い方をすれば、ボーディングスクールは他の高校より「レベルが上」な訳ではない。

私自身は、アメリカのボーディングスクールに3年間通った後、アメリカの大学に入学したが、大学で出会った〈すごい〉(俗っぽい言葉で相すみません)同級生たちは、アメリカの公立高校に通いながら、高校3年生の1年間は高校の授業に全く出ずに、近くの小規模な大学の授業を受けていた、というような人たちが、偶然かもしれないが、多かった。逆に、ボーディングスクール出身の同級生たち、あるいは私自身は、過保護な環境で育てられたしなびた野菜のような感じで、たくましい雑草的精神にどうしても欠けてしまっていたような気がしてならなかった。

人生、何が良いか悪いかは分からないので、何とも言いかねるが(と言ってしまえばおしまい)、とにかく、ボーディングスクールに関して何か優越感のようなものを抱く根拠も必要もないし、まして、アメリカの大学を受験する際に有利だから、という理由は成立しない。逆に、不利だ、ということもいえる(これについても後述する)。つまり、言いたいことは二つである。第一には、アメリカのボーディングスクールに功利的な期待をしても裏切られるであろうこと。第二には、ボーディングスクールは万人向けではない、ということである。この第二点目については、次の記事でもう少し詳しく述べたい。

まだまだキメの非常に粗い議論になってしまっていて、言い訳のしようもないし、正直なところ、自分で書いていて〈どうでもよくなってきた〉ところもない訳ではないが、追々、上記した様々な点について、より詳細に触れられたらと思う。

Thursday, July 7, 2011

月出る霧閠

それでも琴瑟を掻き鳴らし、謡は尚ほ欠聲にして咽頭にて止む、星期六夜も更け玄雪も降積り、ザヾリと言ふ音もする儘に、舟哥は無舟にて進み之く、夜は窗に黒く張り付きて離れず

琴瑟、楽房は大なる窗を設くる所なり、内戸は無く、幕も亦た無し、外に漫遊する五人組有り、寒の極み、凍た笑ひが聞こへる、琴瑟が愧ぢて莟と為り介る、嗟呼、煩き慢人や、倉卒として五人揃つて濁烏越し一斉に、尻を見せたる、是れぞ月之出と謂うヤツぢや、と酸を甞

これ如何、これ如何、と息を呑、蒼白い五穴の方形なるを忘ること能はず、暫く心が自ら方を相ひ画き続け、愚は戦慄せらる、無力の儘に琴瑟を掻き鳴らし、夜更けて時来りて獨り帰宿す

Sunday, July 3, 2011

入寮

寄宿舎の寮棟は煉瓦造りの四楼、屋根は積雪の落下する所にて険巌のごとく切立てり、九月初旬の風光暖緩、晴天は錦瑟を響かせるが如く明朗たり、しかれども其の深碧の間に傷心ヲ潜む、昔日の夕陽、渓水の淡影、薫風に扉を立てゝ耳を澄ませば万斛の思ひ胸に在り

混沌とした心中を行燈にて照らす、之を思想と謂ふなり、なぜかしらん、心は淀みて〳〵、混濁すること已まず、古池の泥水が如し、しかしそれを行燈で照らせど藻、よどみは抜けきらず、但だよどみが淀みとして現前す、豈に是れ又思想の髄ならざらんや

Thursday, June 30, 2011

華琶夜のなみだ

淡く凍て付きたる雪原有り、夜も更けて月朦朧と暗香を放つ、孤狐も帰途の路を馳せて涙ぐみたる、扉を幾張開けども永久(とこしへ)に夜、言の無き華火は雪ノ一粒一粒より出で来る

此のやうな孤独を味わつたことがあつたであらうか。北辰も見えず四海蒙昧として、チラチラとした炎のやうなものだけが瞼ノ裏側で瞬きては、地中深き時間の陰に身を倚せてじッと動かずに居。窗外に降り積もる雪の重なり合ふ聲を聴。

Thursday, June 23, 2011

自序

何を思い立つたか、新畔沙のX舎について書いてみんとす、つれ〳〵゙なるまゝに書かんとすは、はや十年斗前のはなし、現代の日本語に大なる限界を見、世に君臨す英語にさへ小なる限界を見る、この節度毫末も無く誤謬満満とし分かりにくき闇闇たる言をゆるされたじ、たゞ今の文に甚だ不満を抱きたり、筆を擲ちて只管字盤にすがりつきたるは如何、近世朧月夜の暗雲にのみ墨汁の飛沫を見たり、そもまた夢か幻想か

日の出づる国とは何ぞや、其れ日ならぬ卑か屁か、吾れ屁の出づる国を離れし、時に十有五歳、あどけなき顔尻頭を米の国に移せり、これ何ぞや、彼方には新畔沙のX舎たるもの有り、此の如きものは亦た螽斯の国、酔睡の国にも有り、曾て屁の国にも有りしが今は鮮なし、新畔沙のX舎はこれ寄宿小学を謂ふ、米邦の寄宿小学は特に議論と作文を重視せり、記問の学に尽きることなし、専ら自問自答の術を磨くに当たり、隣の学者を師と仰ぎ、師を朋友と為して、相ひ学び相ひ導く、亦た説ばしからずや

方今余年を重ね筆力日びに衰退す、蓋し余の筆力は十有六歳にして頂点に達するも、後年は落日の暝没するが如し、尚ほ微力の存セル内に書き上げんと字盤にすがりて間を偸む、寄宿小学の妙意は知らぬがその思ひ出、海人手の指二三本ほどは有り、これを記するニ脳を使いしが、如今メモリイが若干足らぬ、ほかに記すべきこと覚ふるべきこと雲より多し、そこで本俗談を以てトロンク・ロムと為し、旧時のがらくた義理人情を之に預け託して、ここに序を為すと云