Monday, July 11, 2011

アメリカのボーディングスクールとは

ある方から、「アメリカのボーディングスクール」という語をブログのタイトルにわざわざ入れておきながら、内容が有名無実、羊頭狗肉であるのはけしからん、とのお叱りを受けた。ごもっともである。

そこで、差し当たりは、日常的な現代日本語を用いて、本当にアメリカのボーディングスクールについて書いていこうと思う。竜頭蛇尾にならないことを願う。「俗談」というのは、四方山話、という程度の意味である。そして、あくまでも主観的な話に止まる、という一種の警告と弁明の意も含まれる。

文明の利器、グーグルなどを使って検索すれば、「アメリカのボーディングスクール」が何物であるのかは、概ね見当がつくのではないかと考えるので、冗長な客観的・外観的説明は控える。ここでは、ただアメリカの寄宿高校、と翻訳しておけば十分であろう。(また、有名無実、羊頭狗肉であるとご批判を頂戴するかもしれないが。)

ここからは主観的な話に入る。アメリカのボーディングスクールは、ヨーロッパ、殊にイギリスの寄宿学校(彼方ではパブリックスクールと呼んだりするそうだ)をモデルにして作られているらしい。でもこれは、実際アメリカのボーディングスクールに通う際には、特に知らずとも構わないことかもしれない。ただ、イギリスやスイスの寄宿学校が大概そうであるように、アメリカのボーディングスクールも、伝統的には最上流階級の子女が入学する高校であった。

現在でもその名残は感じられ、実際、富裕層の子女が全校生徒の大半を占めるボーディングスクールがほとんどであろう。ところが同時に、最近では、非富裕層の子女や、伝統的な上流階級ではない〈人種〉の子女の入学も目立つ。これは、ボーディングスクール側が、積極的に自校の「多様化」を図るため、返済不要の奨学金を用意したり、受験担当の面接官がアメリカ全国を飛び回って、様々な地域から受験生を募っているからである。

とはいえ、全米規模でみれば、ボーディングスクールはまだまだ上流階級の根城のようなイメージを持たれている、というのが相場であろうし、実際、「多様化」の見せかけとは裏腹に、豪華すぎるほどの学校設備を見れば、富豪の寄付金が今日においても、日々の学校運営にとって不可欠であることは、ほぼ一目瞭然であるともいえる。

何が言いたいのかといえば、まず、ボーディングスクールは学費(生活費も込)が非常に高い。年間、日本円にして400万円ほどは見込んだ方がよいであろう。前述した返済不要の奨学金も、ほとんどの場合は、非アメリカ国籍の生徒には支給されない。だから何だ、それでもボーディングスクールの提供する教育(これについては後々述)を受けたいのだ、となれば、もうこちらも何も言うことはない。学費・生活費も何とか支払いがきき、それがよい買い物であると心底思えるのならば、それは、皮肉なしに素晴らしい。自分なりにボーディングスクールのよさが確信できていて、自分なりの確固たる目的意識があれば、必ず実り多く、生涯を通して宝物となる高校生活が送れるのではないか。

しかし、少しでも迷いがある場合、あるいは、迷いというのではなくても、ボーディングスクール以外の選択も十分現実的に考えられる場合、あるいは考えなくてはならない場合は、わざわざアメリカのボーディングスクールに行かずとも構わないはずだ。一見、当たり前のことを言っているようだが、もっとはっきり、ばっさりと言ってしまうと、ボーディングスクールは、あくまでも上流階級的な教育機関であるという意味で優れている(物的・人的設備にお金が掛けられているので、非常に統制のとれた学習環境が用意されており、少人数・24時間体制の全人格教育、的なことを謳い且つある程度まで実施する余裕がある)のであって、決して学力的にハイレベルであるとか、根本的に例えば公立高校や、他の国の高校に優れているのでない。これについては、断言しておく。俗っぽい言い方をすれば、ボーディングスクールは他の高校より「レベルが上」な訳ではない。

私自身は、アメリカのボーディングスクールに3年間通った後、アメリカの大学に入学したが、大学で出会った〈すごい〉(俗っぽい言葉で相すみません)同級生たちは、アメリカの公立高校に通いながら、高校3年生の1年間は高校の授業に全く出ずに、近くの小規模な大学の授業を受けていた、というような人たちが、偶然かもしれないが、多かった。逆に、ボーディングスクール出身の同級生たち、あるいは私自身は、過保護な環境で育てられたしなびた野菜のような感じで、たくましい雑草的精神にどうしても欠けてしまっていたような気がしてならなかった。

人生、何が良いか悪いかは分からないので、何とも言いかねるが(と言ってしまえばおしまい)、とにかく、ボーディングスクールに関して何か優越感のようなものを抱く根拠も必要もないし、まして、アメリカの大学を受験する際に有利だから、という理由は成立しない。逆に、不利だ、ということもいえる(これについても後述する)。つまり、言いたいことは二つである。第一には、アメリカのボーディングスクールに功利的な期待をしても裏切られるであろうこと。第二には、ボーディングスクールは万人向けではない、ということである。この第二点目については、次の記事でもう少し詳しく述べたい。

まだまだキメの非常に粗い議論になってしまっていて、言い訳のしようもないし、正直なところ、自分で書いていて〈どうでもよくなってきた〉ところもない訳ではないが、追々、上記した様々な点について、より詳細に触れられたらと思う。

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