Sunday, August 21, 2011

日本にいつ戻って来るのか

暫く書くことができないでいた。夏ももう終わりか。いや、まだまだだ。

アメリカから日本に戻って来るのか、戻って来ないのか、というのは、畢竟、日本に「いつ」戻って来るのか、という疑問に集約することができるだろう。全く戻って来ない、という選択肢を初めから取る人は、「アメリカに行きたい」、「アメリカで住みたい」人であって、「アメリカで教育を受けたい」人ではないかもしれない。これは、あくまでも一般論である。

アメリカで教育を受ける意味、意義は人それぞれだろうが、いつかは、自分を育ててくれた、あるいは自分が育った土壌に何らかの形で、微力ながらも還元したい、と考える人がいてもおかしくないであろう。問題は、いつそのホームベースに帰還し、還元を始めるかである。

個人的な意見ではあるが、通説は、まずアメリカなり日本国外で身を立ててから、日本に戻って来るべし、というものが主流であるような気がする。このようにした方が、結局、日本に戻って来たときに、必要な貢献をできるだけの知識や経験や、地位や権力を持っていることになるだろうから、遅くに戻って来た方が、「ホームベースへの還元」という目標に、遠回りをするようで、実は一番の近道をはたらくのだ、と。

拙ぶろぐの筆者は、この通説に声を高らかに反論する。余り高い声は出ないが。そして、まず、この通説のような人がいても驚かないし、実際いらっしゃるのではないかとも思う。(ただ、「還元」の定義も問題にはなる。ここでは、何らかの形で、通行概念や既成システムに改善・変革を加えた、というあいまいな、でも「ゲリラ」なものにしておこうか。)しかし、である。知識や経験があるには当然の如く越したことはないが、社会的地位や権力がありすぎると、今度は自らが失うものが多すぎて、なかなか大胆な行動はとれないものである。これに、例外があってもよい。しかし、所詮は人間、一度高いステータスを得ると、なかなかそれを去りがたく、危険に冒すことさえ、敬遠するものではないか。

地道に、確実に、「故郷への還元」を果たすのであれば、失うものが極力少ない、若いときの方がよいのではないか。確かに、経験や知識や、地位や権力の不足で、苦労することもあるだろう。それ以前に、日本には「出た杭は打つ」というしきたりがあるそうではないか。筆者も、このしきたりの存在は認める。しかし、自分が「出た杭」であるという自覚があるなら、無防備のまま鼻の下を伸ばすのではなく、自分で防御しなくてはならない。時には、尋常には思えないほど恐縮し、謙遜し、自らを卑下する必要がある場面に遭遇しよう。そのときは、日本の(あるいは、日本以外の地域にも存在するだろう)「自虐カルチャー」を頭から軽蔑するのではなく、まさにテコの原理を利用し、それを逆手にとって、自衛すればよいのだ。それは、妥協でも、卑怯な真似でもない。ただ、「現地」のコトバを上手に操るまでのことである。地位や権力がないから、なおさらである。そこは賢く、格好よく。

具体的な還元方法は、それぞれが見つけていくしかない。ただ、一つ言えそうなのは、現在の日本は、政治を通して何か変革がもたらせるような国ではなさそうだ、という陳腐な真実である。だから、政界は、よほどのことがない限り、避けた方がよいかもしれない。トップダウンで改善や変革をもたらすのではなく、草の根で、泥の中を這いまわる様にして、自分ひとりだったとしても、柔軟な精神と確かな信念で、賢く、上手に「現地」のしきたりを活用しながら、小さな結果を出し、積み重ね、反省もし、そして前向きに一分一秒を愉しめばよいのだ。日本のことがほんとうに理解できたら、あるいは、XYZのことがほんとうに理解できていたら、日本、XYZのことを簡単にバッシングすることなどできない。知らないから、嫌いになったり、見捨てたくなったりするのかもしれない。問題は山積している。ただ、その問題の一つ一つにも細かい経緯があり、事情がからんでいる。根こそぎ問題であることは少ない。

嗚呼。このような言葉をつらつらと並べたって、通じないかもしれない。どこまでも舌足らずで申し訳がない。ただ、日本に戻って来るのなら、「若い」ときに戻ってきて、それから少し年をとって、家庭を持ったとしても、何らかの必要や自らの欲望に応じて、また日本国外に出ることだって、本当はできるはずであるし、してもよいはずである。このような「反通説的」考え方が早く浸透しないと、日本でもブレイン・ドレインがもうすぐ発生し始めるかもしれない。そのときは「知らん」ではすまないだろうし、何だか色々な意味で勿体ない。

次回からは、遂にやっと、学校選びの話をする。

Monday, August 1, 2011

如之何

余レ曾て「政治家」を志せり、而も其れ吾が邦屁の出るの国の「政治家」なり、然れども意必ずしも適わず、其れ時勢に帰すべきか否や、

公に云「政治」、利を奢にする間は、何ぞ其の業に身を售らん、余レは永久に至るまで、草ノ根ノ士の清き名を求めん、但し時勢の変ずるときは則ち与からん